2025年12月01日
世界とは、宇宙が宇宙自身を理解するために
私というキャラクター(端末)を使ってプレイしている
オープンワールド観測ゲームである
爆音バイク少年も、運転しながら歯磨きしてるやつも、スタバで夜と霧を読む女も
意地悪な隣人も、全て宇宙によって遣わされたプレイヤー
皆、自身のアルゴリズムによって行動させられているだけの存在
基本的にわれわれ端末は自動人形に過ぎず、自由意志を持ってプレイすることは出来ない
起きたイベントに意味づけするだけの観測ゲーム
ただ、自分が自動人形であることに気づくことができる存在でもある
サポルスキー博士の分散因果性そのものです
行為が先、意味づけは後
そして、その観測者の自分に気づくと、自分のアルゴリズムを書き換えることも出来るようになる
観測者=宇宙
だから、アルゴリズムの書き換えも、宇宙の自由意志なんだよ
だからサポルスキー博士の言う、人間に自由意志はないというのと、CTMU理論の自由意思はあるというのは
別に矛盾しない
宇宙には自由意志があるんだよ
”私”というキャラクターは、宇宙が自己観測するための一つの端末でしかない。
しかし、その端末が自分自身のアルゴリズムを自覚する時、宇宙は自分を通して自分を書き換え始める。
これが「自由意志の正体」