2025年10月25日
夜と霧は愛読書でした。
本を知らなければ、スタバで隣の女が読んでいても何も感じなかったでしょう。
まさに奇跡が起きたんです。
天和をアガるくらいの奇跡。
心が涙を流した理由も分かりました。
長く不動産業をやって来ました。
裏切られ、騙され、理不尽なことが常にあります。
その都度、「なぜこの人はこういうことをするんだろう」 と怒りと同時にその意味を探求していました。
この意味の探求グセが左脳の支配であり、怒りと言う感情を利用して、不条理をねじ伏せようとするコントロール欲もまた、左脳の支配によるものと分かりました。
スタバの女の様に自分にとって何も害がない様な事象においても、今までは「なぜこの人はこういうことをするんだろう」と常に思考を支配し、イライラを引き起こしていたのです。爆音バイク少年、大相撲に熱狂する西洋人、棒振りすごろくに熱狂する人々、政治だってなんだってそう。
今までの自分は常に「他人のすることに意味を求めていたのです」
「自分の納得できる形に相手や世界を理解し、整えたい」 「こうじゃなきゃいけない」という左脳の欲望がイライラの正体と気づきました。
人間の行動なんて、雨とか風のような自然現象と同じでした。
雨が降るように裏切られ、風が吹くように騙される。
善とか悪とかじゃなく「そういうことも起きる」って観測することしかないんだな。
まさに分散因果性です。
他人の行動なんて予測不可能だし、それを深く理解することなんて出来ないんだな。
自分の中の第三の意識である「観測者の意識」が言ってくれたような気がしています。
「もう意味を探さなくていいんだよ」 「みんな不完全でそれでいいんだよ」「こだわりを捨てなさい」